にかどくです。
今回は『こころ』を読了したので、この作品の感想を書いていきたいと思います。
著者紹介
本作の著者は夏目漱石さんです。
1867(慶應3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生まれる。
帝国大学英文科卒。 松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。
留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。
翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。’07年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。
夏目漱石著『こころ』
(1952年/新潮社/著者紹介より)
概要
親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。鎌倉の海岸で出会った”先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から間接的に主人公が描かれる前半と、後半の主人公の告白体との対照が効果的で、”我執”の主題を抑制された透明な文体で展開した後期三部作の終局をなす秀作である。
夏目漱石著『こころ』
(1952年/新潮社/文庫本そでより)
登場人物
主な登場人物は以下の4名です。
・私
東京の学生。公務員である兄と妊娠中の妹がいる。
先生とは夏期休暇中に鎌倉の海岸で出会う。
「上 先生と私」、「中 両親と私」の語り手。
・先生
仕事に就かず、東京で妻の静と共にひっそりと暮らす。故郷は新潟。
親友のKを裏切り死に追いやってしまったことに罪悪感を持っており、死ぬまでKの墓参りをしている。
人付き合いが少ない。
「下 先生と遺書」の語り手。
・静
先生の学生時代の下宿先のお嬢さんで、先生の妻。
・K
先生とは同郷で、同じ大学に通っているものの専攻は別。浄土真宗の僧侶の次男。医者の家に養子として出され、養家は医者にするつもりでKを東京に出したが、Kは医者になる気が無かったので、実家や養家を激怒させた。その結果、仕送りを止められてしまい生活に困窮するが、先生の提案により下宿先で先生と生活することになる。
感想
まず、『こころ』を読むに至ったきっかけは、中学生のときの記憶です。
中学1年生のときの国語の授業で、読書感想文を発表するという日がありました。
その読書感想文の発表でクラスメイトが本作を発表したのですが、「良く分からなかった」という感想を述べていましたのを今日まで薄っすらと覚えていました。
だから、『こころ』という作品は中学生が内容を理解するまでは難しい作品なのだろうなと勝手に思っていました。それを言い訳に今日まで本作を手に取ることはありませんでした。
しかし、中学生だったからこそ理解できなかっただけで、大人になった今だったら理解できるのではないだろうかと思い、本作を手にしました。
では、ここから感想部分に移ります。
この物語は想像以上に切ないものでした。
というのも、先生とKは下宿先のお嬢さん(=先生の妻)である静を好きになってしまっていたからです。
さらにKは静に好意を寄せていることを先生に告白しています。
そこで先生がKに対して言い放った言葉。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
かの有名な言葉ですね。
この言葉はあるときにKが先生に対して向けた言葉ではありますが、先生は自身の恋路を邪魔されたくないためにKに言いました。
Kは精進という言葉が好きで、「道のためには全てを犠牲にすべき」というのがKの第一信条でした。
「道のためには全てを犠牲にすべき」というのは、わかりやすく言うと数学のテストで100点満点を取りたいのならば、数学の勉強に全力を注ぐということです。
他の教科のテストの結果が悪くなろうが、とにかく数学の勉強にしか力を入れない。個人的にはこういうことだと思っています。
となると、他の教科の勉強をした時点で、「道のために全てを犠牲にすべき」という信条が崩れてしまうことになります。
本作で当てはめると、静に恋をした時点で「道のためには全てを犠牲にすべき」というKの第一信条が崩れてしまっているのです。
だから、Kは先生にこの言葉を吐かれた後、「自分は馬鹿だ」と言っています。
しかし先生は、彼が彼の第一信条に反した行動をしているから注意するという意味で逝ったわけではありません。
先ほども言った通り、恋敵に想い人を取られたくないというエゴイズムでこの言葉を利用したのです。
そして、先生はこっそりと静を妻に迎え入れたい旨を彼女の母に表明します。ただ、この件についてはやむを得ずに先生は意思を表明していますが、そこまでに至った経緯がとても迂闊だったと思います。
Kが静のことについて何か言わなかったかどうかを静の母に確認していたからです。
Kの心に火がついて、静を妻として迎え入れたいなんてことを言っていたらどうしよう、何てことを思ったのかもしれません。
結果的にはKは何も言っていなかったのですが、却って彼女の母はKが何を言っていたのか気になってしまったのです。
それはそうですよね。Kが何か言っていなかったかと聞いた時点で、Kが先生に対して何かを言っていたという証拠になるわけですから。
Kは頸動脈を切って自殺していますが、先生をさらに苦しめることになったのはKの遺書です。何とKの遺書には先生を非難するような言葉が一切なかったのです。
「自分は薄志弱行で将来に望みがないから死にます」というようなことと、先生への礼、死後の自分の処理の仕方などが書かれているだけでした。
自分が死に追いやってしまった人物から礼をされてしまうと、自身の行いが如何に愚かだったのかを痛感させられると思います。先生も自分の愚かさを痛烈に感じたのだと思います。
先生は最終的に自殺していますが、その理由としてはKへの負い目と先生の妻である静に真相を知られたくなかったからです。
Kが先生に静が好きであることを伝えていたことを静は知りません。
Kが自殺するに至った原因を先生が作ってしまったこともまた、静は知りません。
もしこれらの真相を静が知ってしまったら、先生は非難されると思います。
何せ、この静もKのことを好いていた可能性があるからです。
「私と結婚するために、そんな手を使ったの⁉」なんて軽蔑されたくなかったのかもしれません。
こんな悲劇になってしまったのも、Kと先生が下宿先で生活するようになってしまったからかもしれません。
Kと先生が再会するようなことがなければ、Kも先生も自殺に追い込まれることはなかったのかもしれません。下宿先に同居したが故の悲劇だと僕は思いました。
そして、卑怯な手段を使っても心が満たされることは決してないということも本作で学んだような気がします。
正々堂々と勝負する。
それが一番大切です。
最後に
今回は夏目漱石さんの『こころ』の感想を書いていきましたが、いかがだったでしょうか。
本作は「上 先生と私」「中 両親と私」「下 先生と遺書」の三部構成となっています。Kと先生、静の三角関係が語られているのは「下 先生と遺書」の部分です。
「下 先生と遺書」は先生が書いた遺書という体で物語が進行していますが、先生の遺書がとても長いです。
当然ですが文体も古いので、もしかしたら中学生にとっては読みづらいかもしれません。
しかし、決して読んでおいて損はない作品です。
卑怯な手を使って目的を果たそうとするとどのような感情を持つのか。
これを痛感させられると思いますので、気になった方は読んでみてください。
僕が読んだのは新潮社が去年出版したものを中古で購入したものです。
(装丁が2019年版のプレミアムカバーになっているのはそのためです。)
新潮社では「新潮文庫の100冊 2020」というキャンペーンを実施しているそうで、本作の『こころ』も選ばれており、2020年版のプレミアムカバーで販売しているそうです。
以上、夏目漱石さんの『こころ』の感想記事でした。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。