にかどくログ

読書をこよなく愛する平凡なサラリーマン。

【住野よる/君の膵臓をたべたい】読了!

みなさん、こんにちは!
にかどくです。

『君の膵臓をたべたい』を読み終えました!
表紙はこちらです☟

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

著者は住野よるさんです。
本作は住野よるさんのデビュー作です!

映画で実写化・アニメ化もされましたね。

ちなみに僕は実写化の映画を2回観に行き、
2回涙腺崩壊しました。

アニメの映画はまだ観られていませんが、
いつか観ます。

実は、この小説は2回目の読了になります。

実写化映画を劇場に足を運んで何度も観て、
尚且つBlu-rayを購入して何度も観ているので、
かなり気に入っている作品です!

感動する作品なので、この作品が好きな方も多いのではないでしょうか。

さて、ここからが感想です。
本作を読むのは2回目ですが、改めて思うことは
一日一日を大切に生きていかなければならない、ということです。

残り少ない命をもっと別のことに使わなくても良いのかという主人公の質問に対して、
山内桜良はこう言っています。

「でも今、それをやってないじゃん。
私も君も、もしかしたら明日死ぬかもしれないのにさ。
そういう意味では私も君も変わんないよ、きっと。
一日の価値は全部一緒なんだから、
何をしたかの差なんかで私の今日の価値は変わらない。
私は今日、楽しかったよ」
(住野よる『君の膵臓をたべたい』(2017/双葉社)P.13L.16~P.14L.2)

この言葉、僕にとってはかなりインパクトのあるものでした。
病気に罹っていようがいまいが、
僕たちはいつでも死んでしまう可能性があるのです。

もしかしたら今日、交通事故に遭って死んでしまうかもしれない。
明日、事件に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。

そんなことを普段から考えている人って僕を含め、
ほとんどいないと思います。
なぜなら、明日、明後日が来るというのは当たり前のことだから。

それが何度も何度も続いたからこそ、今日という日があるわけだから、
疑う余地もないのかもしれません。

だからこそ、この桜良の言葉は重いと思いましたし、
いつだって死と隣り合わせで僕たちは生きていると改めて実感しました。

そんな中で、
やりたいことを目一杯やって、
いつ死んでも良いように一日一日を大切に生き抜いていかなければならない

と思いました。

そして桜良のこの言葉は、物語の伏線にもなっています。
本作を読むと、桜良のこの言葉の重みを痛感することになります。

先ほどとは別シーンではありますが、桜良は主人公に対して
こうも言っています。

「違うよ。偶然じゃない。
私達は、皆、自分で選んでここに来たの。
君と私がクラスが一緒だったのも、あの日に病院にいたのも、偶然じゃない。
運命なんかでもない。
君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。
私達は、自分の意思で出会ったんだよ」
(住野よる『君の膵臓を食べたい』(2017/双葉社)P.197L3~P.197L.6)

僕たちは何をするにしても、何かしらの選択をしているということ
認識させられました。

たとえ受け身思考であっても、行動を選択し結果に繋がっていく。
そう考えると、
本当の意味で受け身思考というのはないのかもしれません。

選択を積み重ねることで、今日という一日まで生きていられている。

生きていることが当たり前だと思っていたら、
気付かない考え方ですよね。

桜良って、とても達観しているような気がします。
高校生なのに、一つ一つの言葉に重みがあります。

そして、本作のタイトル『君の膵臓をたべたい』。
一見すると謎のタイトルですが、かなり意味の言葉です。
(書店で見たとき、本当に「何だこれ?」と思いました。)

本作を最後まで読むと「そういう意味だったのか~」
と、初回に読了した時に納得しました。

僕の中でこの作品は今後も何度も何度も
読み返してしまう作品だと思っています。
この作品を手に取り、読むという選択をして良かったです。

☆2020年10月2日更新☆
住野よるさんの『この気持ちもいつか忘れる』を読了したので、感想を書きました。
宜しければ、ご覧ください!
nika-landmark.hatenablog.com